京あられ・京おかき歴史探訪

京あられ・京おかきのルーツ

京都盆地の西北にそびえる愛宕山(924m)は、東の比叡山(848m)と並んで、京のシンボルのひとつです。京の人々は、愛宕の峰に雲がかかると、「雨が近い」といい、雪を見れば、「お山が白い、今日は寒おっせ」と愛宕山を仰いで、その日の天候を占ってきました。また、山頂の愛宕神社は、「火難除け」の神として知られています。 愛宕山からの流れのうち、梨ノ木谷と大杉谷の流れは、合して堂承川(地元では堂尻川という)となって、清滝川に合流。清滝川は落合で保津川に入ります。 大杉谷流れの源流近くに、高さ10mの「空也の滝」があります。その名の通り、空也上人(903~72)修行の場と伝えられ、愛宕五山のひとつ、月輪寺には、空也の立像(重文)があります。古くから修験者が集まりくる行場であって、空也も参篭した1人でした。

江戸時代、この滝で篭り行をしていた1人の僧がいました。嵯峨天竜寺の塔頭、弘源寺に身をよせていた涌蓮(ようれん)上人(1715~74)でした。 涌蓮は、里人が差上げた餅を切り、「あられ」を造って里人に与え、自らも好物だったと伝えられています。空也の滝の修行中、涌蓮の体力を支えたのは、自らが造った「あられ」でした。こうしたことから、私達の業界では、涌蓮にそのルーツのひとつを求めているのです。

弘源寺
弘源寺