京あられ・京おかき歴史探訪

江戸時代の京名物「丸山欠餅」

江戸時代、円山公園(京都市東山区)の奥にある時宗寺院は、宗教活動の場というよりも、遊人(物見・遊山の人)の宿として座敷を広く設け遊興酒宴の地として大変にぎわっていました。
霊山(正法寺)、双林寺、丸山(円山安養寺)では、名物として「かき餅」を製造販売していました。
中でも、現在は料亭となっている安養寺「円山の六坊」の一つと数えられる塔頭、左阿弥(さあみ)の製品が特に優れ「丸山欠餅」(まるやまかきもち)と呼ばれ、箱に入れ、土産物として遠方に送られていました。
安永6 年(1777年)出版の江戸から京を見た評判記悪茶利道人作「富貴地座居」(ふきちざい)では、京名物の第3位に「丸山欠餅」を掲載しています。

安養寺
安養寺
現在の左阿弥
現在の左阿弥

円山、安養寺全景(都名所図会 天明7年 1782)
円山、安養寺全景(都名所図会 天明7年 1782)

厳冬に餅を造り、厚みのある棒状の餅にして、半乾きの堅まった状態で薄く切り、これを陰干しにして、弱火で遠く炒るその手造りの製法は、明治以後も伝わり、今もに引き継がれています。

後に「京都坊目誌」(明治29年~大正3年 1896~1914)は丸山欠餅について「この欠餅の製法は、ひとり左阿弥に伝うるだけ」と記していますが、京おかきの組合は明治40年(1907)に発足しています。組合員は15名でしたが、それ以上の「おかき、あられ」の業者が存在していたと考えられてます。